きいろいちゅーりっぷ

日々の細々を書きます。

親友の結婚

常に人からどう思われるか、に敏感な私はここ数年、変化していく自分の環境と周囲の環境、そこから生まれる人間関係の変化に驚きつつ、対応していた。

そして、その中で人は同じ環境・立場で友人関係を築きやすいということ、友人関係を築くにあたって、自分の意見を持たないと、消費されるということに気がつき、すこしうんざりしていた。

だから、私はこの人たちとはいつか別れる時が来るのかもしれないと諦めて、消費されないように、優先順位を自分を念頭に置き始めた。

例えば、遅刻ばかりする友達の約束には、30分予定より遅れる癖がついてしまったし、ドタキャンばかりする友達には、最初からのらりくらりと約束自体を避けるようにした。自慢ばかりしてくる友達の話は流すようにしたし、簡単に人を褒めなくなった。

以前の私なら、そんな目には目をのハンムラビ法典みたいにしなくても、きちんといやだと説明してお互いに歩み寄るべきだと思っていた。人との縁をそんな簡単におざなりにしてはいけない、と。

けれど、徐々に強い結びつきが欲しくなり、簡単に私を扱ってくる人たちを許せなくなってきていた。

ただ、そんなことが出来たのは、地元の友達がいたからだった。互いを思いやり、消費しない、むしろ補ってくれる友達。けれど、その地元の子たちと会うようになったのも、またハンムラビ法典をし始めたからだった。

ふわふわと人間関係のスポットを作って、そこに属して、気に入らなくなったら引っ越す。地元の子たちと話していても、そんな自分が友達を大事にできているかと問わずにはいられなかった。

そして誰彼問わず、排他的に出会ったり離れたりを繰り返していた。26歳にもなってそんなことをするか。と人は思うだろうが、私の場合、友人に合わせつづけることで自分の居場所を保ってきた学生時代のその反動があったのだろうと思う。

そんな風に過ごしているうちに、「相手を持ち上げよう」とか「嫌われないようにしよう」とか考えなくなり、今度は楽しさを追求し始めるようになった。思っていたどす黒い感情さえも出してみると、意外とすっきりするのも事実だった。人と関わって、自分をあえて卑下してみたり、わざわざ言わなくてもいい、いやなことをはっきりと告げるようになっていた。そして幼稚な自分に嫌気がさすこともしばしばあった。

そんなある日、県外に就職している親友から電話がかかってきた。

彼女との関係はというと、小学校から高校まで部活動で一緒で、大学進学を機に彼女が県外へ行ってしまった後も、リアルタイムの感情共有はできなくなったものの、交友関係はしっかり続いていた。

そんな相手からの突然の報告があるという連絡、思わずピンときた。

「結婚することになった。明日、指輪を買いに行くの」

やっぱり。彼女とは、結婚式では互いの友人代表のスピーチをしようと約束していたし、なんなら、葬式の喪主もお願い、などと以前から笑いあっていた。同性から見ても、彼女は美しく、素敵な人だから、いつかその時は来るとわかっていた。けれど、やっぱり衝撃的で、私に様々な感情が押し寄せた。

そして、思っていることをそのまま伝えるスタンスが、体に染みついていた私は矢継ぎ早の質問をした。その中で、彼女が答えてくれるものはどれも、十分理解できるものだったし、そもそも私の理解なんていらないのだが、それでも誠実に答える彼女から、本当に覚悟したものなんだということがわかった。

彼女におめでとう、と言いながら、なぜだか学生の頃は、あれだけイメージできていたのに、違和感を感じてしまっていた。

 

焦りのせいだと思った。実際、周りは世にいう結婚・出産ラッシュだったし、私は彼氏だっていない。最近始めたマッチングアプリだって、なんだかむなしさを覚える経験ばかり。でも、それでも、その友人たちには心の底からおめでとうと言えていたし、うらやましいという気持ちも素直に表現できた。

なぜ、一番の親友に、そして本音だけを話すような、けばだった私の心を見せずにすんでいた彼女に、こんな複雑な気持ちを持つのだろう。頭の中がぐるぐるしていて気分が悪かった。

 

その日、帰りの電車の中で、ぼーっと外を眺めていたら、小さい子供をつれた夫婦が乗り込んできて、ああ、きっと親友もあと何年かしたらこんな風に家族を作っていくのかと思った。そしてそのイメージがいとも簡単に浮かんできて、とたんに泣きたい衝動にかられた。

小学校からの思い出がぽつぽつと思いだされた。

出会って最初のケンカは、彼女が自分の願望を口に出さないことに、私が嫌気を指したことが原因だった。端から見ると、彼女の方が思ったことをはっきりいいそうに見え、私は人の顔色を窺うように見えていたと思うし、実際、互いに他の人にはそうだった。けれど、2人の時は逆だった。

だから、泣きながら、謝ってきた彼女にとても驚いた。そんなタイプには見えていなかった。2人で謝りながら、泣いて、そしてその構図に、爆笑したのだった。

彼女は、本当に内弁慶の私とは真逆のタイプで、いつだって、冷静そうに見えて、だけど誰かの些細な言葉に傷ついて、でもそれを誰にも言わずに、やるべきことをする、とてもかっこいい親友は私の憧れだった。

 

思い出は数えきれないほどある。一緒に怒られて1週間、雑草取りをさせられたこと、作詞作曲してダンスを作り、披露して回ったこと、泥団子をぴかぴかになるまで磨く競争をしたこと、彼女が部活動の部長になり、悩んでいた時期のこと、初めてできた彼氏の話、就活の話、仕事の悩み、甑島旅行がダメになって仕方がないから、Youtubeごっこをしたこと。楽しさを共有する一方で、彼女に慰めてもらったし、彼女から勇気ももらっていた。

小学・中学・高校・大学・社会にでる中で、どんどん成長していく彼女を尊敬していた。だけど、その一方で、自分とは違うところにいるという感覚が大きくなっていった。僻みや愚痴を彼女になかなか言えなくなっていた。環境だけでなく、立場も変わってきていた。それでも私は彼女と対等でいたかった。

家庭を持てば、ますます彼女と私の関係性は大きく変わる。

そのことがただただ、わかって辛かった。さびしかった。

寂しさが邪魔をしていたのだった。

こんなことを言っても、おそらく彼女はありがとうと私に言うと思う。そんな風に自分を思ってくれて、と。だけど、私はそれに気づきたくなかったのかもしれない。もうあの出会った時のように、一緒に泣いて、そのあと馬鹿みたいに笑うことはないのだということに。大人になってしまった彼女に。

 

今度、お盆に帰省するという彼女に会う。

おそらく私は、子どものように彼女の前で泣いてしまうだろう。

だけど、心の底からの「おめでとう」を彼女に言いたい。

そして、親友と一緒に笑うのだろう。