きいろいちゅーりっぷ

日々の細々を書きます。

幸せについて

いつから婚活をし始めたかわからないけれど、26歳にもなって(1か月間しか付き合ったことのない彼氏モドキを除けば、)だれかと本当に好き同士になったためしがないって、けっこう大変なことなんじゃないか、と思うことがある。

ネガティブ発言満載だが、こんな話は誰にもできないので、ここでさせてほしい。

 

好きになったり、好きになられたり、好きになれそうになったり。入れ違いのような恋愛ごっこをしていても、そこから先を経験することなく、ラインの「友だち」から削除して終わる関係を繰り返している。

排他的な人間関係から、もちろん学ぶこともあったし、自信がつくこともあったけど、いつだってむなしさは残る。周囲から聞く「恋人」との関係性は、たとえそれが悩み事だとしてもうらやましく感じた。

一時期、交際経験のない私は人として未熟なのではないか、と考えていたこともあった。いや、今もかもしれない。遊びのような恋愛ともいえない付き合いをして、それが本気になりそうだと判断したら怖気づいてしまう。相手に嫌われそうなわがままを言って、連絡頻度もまちまちになり、好かれていないなら好きじゃないと思おうとしたりして。

だから、たとえ誰かと付き合えたとしても、心の底からその人のことを好きにならないようにブレーキをかけるんだろうと思う。全力で「好き!」を発揮して、受け止めてほしいと、のどから手が出るほど、願いながら、どこかでそんなの無理だよってあきらめているのだ。

恋愛関係において、人生を振り返れば、暗い話になってしまうが、それ以外においては比較的、順風満帆なんじゃないかと思う。私をいつも励ましてくれる母がいて、甘やかしてくれる父がいて、尊敬できる兄弟が2人いて、ネタの宝庫のような家族。どれだけ遠くにいても、会っていなくても、会った瞬間から「久しぶり」もなく、語りだせる親友。気を張らなくていいよ、と甘やかしてくれる中学からの友人たち。ダチョウの卵でプリンつくるよ!とか、会社を設立する妄想プラン立てようぜ!とか突拍子もない遊びに誘ってくれるのに、仕事はバリバリできる短大時代の友人たち。先生の好きなようにやってみなよと言ってくれる職場の方たち。そして、大好きで天職だなって思える仕事。

自分についても、肯定できる。家族・友人を大事にする気持ちがなくなったことはないし、落ち込んで悩んだ時の解決策を知っているし、感受性が豊かな分、誰かを救える言葉を持ちたいって思ってる。やりたいことをやりきる力があるし(その分、したいことしか見えなくなるけど)、本や映画、漫画で感動できるし、自然や色合いに興味があって、アートが好きなこと。面白いことが好きなこと。健康で入れること。頑固だけど、一度決めたら梃子でも動かないこと。変わってるねって言われたいこと。勉強は嫌いではないこと。目標を持ち続けていること。他人の幸せを願えること。自分の幸せは自分の心でしか成り立たないと知っていること。

 

私は私が好きだ。

それは、周りの人々が私を好いていてくれているという自負と、自分で自分を好きじゃなきゃ楽しくないって知っているからだ。

 

恋愛というジャンルにとらわれると、私のいいところなくなってしまうこともある。

Chayさんの歌に「それでしあわせ」というタイトルのものがある。歌詞の内容は、自分自身を好きになって、幸せなことに気付けたとき、横にいる誰かと一緒に笑っている日があるといったものだ。

落ち込んだり、自分のしてきたことが間違っていたんじゃないかと思う日もあるけれど、この歌のように今ある幸せを見失わず、横にいる人と幸せを感じる瞬間を増やせる、そんな人でありたいと思う。

人生の喜びは、他人のものさしで測るものではないのだ。

自分を愛するために、周囲の喜びを願う。そんな自分を好きでいたい。それが私の幸せなのだ。