きいろいちゅーりっぷ

日々の細々を書きます。

1人暮らし

1人暮らしを27歳になって、初めてする。

わくわくよりも若干、不安が勝っている。

 

大学の時、1人暮らしをすることは憧れだった。進学した先で1人暮らしをする子はそう多くはなかったが、高校時代の友人たちはほとんどが県外に行き、1人暮らしをスタートしていた。そこまで卑屈になるわけでもなかったが、1人暮らしの話を聞くたびに、うらやましく感じていた。

 

親とは不仲だったが、ホルモンバランスが落ち着くにつれ、母も忙しさのピークから徐々に抜け出し、仲がいいほうになった。私はきっと母と同級生だったら、絶対に友だちにならないタイプだった。

 

 

やっと、1人暮らしができる。が、やりたいことはこれといって特にはない。ただ、自分のために献立を一から考えることができて、自分のタイミングで過ごすことができるってことに気がついたとき、すごいことだと思った。同居人がいるといるということは、時にメリットばかりだろうけれど、自分が自分のためだけに過ごせるというのは、新しい自分に出会うことと同じではないのか。

 

 

1人暮らしをしたことがない人には分からないこともあるかもしれない。

けれどまた、社会に出てから実家暮らしをしたことがない人にしか、分からないこともある。

 

進学や就職のタイミングで1人暮らしをした人が持つ、実家暮らしのイメージは、親のすねかじりであることが多い。

でも言わせてもらえば、遠く離れた地から、いくら家族を思っていたって、一緒に住んでいる人の方が本人の体調にいち早く気がつくし、電話をいくらかけていたって、直接じゃないと弱音がはけない人だっている。

実家のありがたみを感じたと口で言っても、実家に帰れば親の手料理を食べ、沸かしてもらった風呂に入り、帰宅時にはたくさんの手土産を持たされるのだろう。小言を言われることはなく、頑張っていると褒めてもらえるのだろう。実際、私の兄弟はそうだった。

 

 

いや、極論を言っている。でも、実家暮らしは今思えば大変だった部分もあるのだ。

必死に悩んだことも笑われ、可能性を否定され、見た目を馬鹿にする親を持つと。

毒親かと言われると、そうではない。けれど、人間皆、正解ばかりではない。特に一緒に住むということは、相手のそういう面と付き合っていくことなのだ。

 

親が1人の人間であると気がついたのも、実家にいたおかげだったし、責任転嫁している自分に気がついたのも、実家にいたからだった。

 

私は私をずっと、ずっと励まし続けてきた。

大丈夫。がんばろう。えらいね。

他人から褒めてもらわなくても、自分が変わりに誉めればいいことを知った。

 

1人暮らしは不安だが、楽しみだ。

27歳になっても、こんなにとびきり大きな初めてがあることが嬉しい。

きっと大丈夫。私はどんな時もきっと、ちゃんと幸せでいられる。

自分のために生きよう。