映画「日日是好日」を観て
小さい頃から、文章を書くのが好きだった。
詩や物語、読んだ本の感想文、短歌など。
10代の思春期、周囲との比較で苦しんだ時、
この気持ちはきっと大人になったらなくなるだろうと思って、
文章に書き記した。未来の自分のために。
今となっては、読み返すことのできないくらい恥ずかしすぎる内容だ。
20代になってからは、自分をありのままに文章化して、
情緒を整えるために書くようになった。今の自分のためだ。
そうしたら、素直に自分を受け止められるようになってきた。
落ち込んでも、その根底には「よくなりたい」という感情があるからだと知ったし、人を悪く思っても、それは自分を大切にしようとしていることだと気がついた。
そして、自分という人間はなんにもできないけれど、
案外悪い奴でもないことを知ることができた。
世間は思ったようにいかない。
けれど、自分の見方ひとつでどうとでもなることや、
自分の気持ちがしっかりと固まれば誰にどう思われようと気にしなくなった。
書く、という行為は、自分と向き合う時間になっていたみたい。
主人公が「お茶の時間」を通して、「日日是好日」という言葉と出会い、人生の節目を四季折々に切り取った映画だった。その言葉の意味を、彼女はどう捉えたのかが物語の主題である。
主人公を演じる黒木華ちゃんが、とても美しかった。
日日是好日。毎日が良き日。
好きな場面は、主人公が「お湯」と「水」では、注ぐ音が異なることに気がつくところだ。
お湯はとろとろ、水はキラキラ。
その表現がとても可愛らしかったし、本当に音が違ったのも面白い発見だった。
夏の暑さや、冬の寒さを味わう、と言っていたのも印象的だった。
彼女にとってお茶の時間が、自分と向き合う時間になっていたのだと思う。
また、日本の伝統美は、奥が深いなと改めて思った。
以前、聞いたことがあったのは西洋の花は豪華絢爛。咲き誇った瞬間の美を切り取っているとすると、日本の花は、枯れるからこそ美しい。枯れゆく過程の美を切り取っているらしい。
人生は幸せを、見つけるためにあるのだと思っていた。
でも、この映画を通して、人生は幸せを感じるためにあるのかもしれないと気がついた。
四季折々のしっかりと味わって、毎日の喜びに感謝することが幸せだと教えてもらった時間だった。