きいろいちゅーりっぷ

日々の細々を書きます。

お久しぶりです

コロナ、第二波始まってきましたね。

先日、Twitterの婚活垢界隈で有名だった2つのアカウントが「創作」であることを告知され、SNSの使い方を改めて考えさせられた白です。

 

久しぶりの投稿になってしまいました。最近、環境がごたごたしていたため、ようやく落ち着いてきた次第です。とはいえ、気持ちの整理はついてきたものの、ここに書くに至らなかったのは、文字に書き起こす勇気がなかったからでもあります。

 

27歳にもなると人生における選択の怖さを感じます。自分の選んだ道が果たして会っているのか、将来の自分に恨まれやしないか不安になってしまうのです。恋人と「結婚」という観念では合わないことが判明し、それでも一緒にい続けてしまう現状に少しですが罪悪感のようなものがあります。

 

恋愛と結婚と幸せはイコールのようで、全くの別物。そこにグラデーションがあって、結ばれていく人たちはどんな人たちなのでしょうか?きっと、自分の核となる部分がしっかりあって、振り回されない人なのではないかと思います。

 

今回の件で、現実味を帯びた「結婚」。それにおののく自分がいることに気がつきました。あれほど口では結婚したいと言っていたのに、覚悟がなかったのだなと思いました。曖昧にして避け続けていた「自立」の部分。自立って一人暮らしすることでも、家族と離れて過ごすことでもなく、きちんと自分の面倒を自分でみて、時に家族の支えになれるような状態のことを指すのだと思いました。

 

親との関係性について、諦めていた(というか目をつむっていた)部分があることに気がつきました。そこから枝葉を伸ばして考えました。貯金のことや、交際関係のこと、両親に何かあった時に支えられる自分でいることが出来るのか、など。彼と出会ってよかったと思えるのは、こうした点ですね。

 

思考だけにとどまらないように、行動にも移しました。

*手書き家計簿

*無駄な交際費を削る(誘いを選び、断るときは断る)

*言いたいことははっきり言う(恋人・友達)

*買い物は値段を考える(無駄買いの防止)

*携帯支払いなど見直し

*こまめな記帳

 

まあ、いったら金銭感覚が変わっただけみたいですね……(笑)

でも、大きな前進です。

 

許し許されることが愛だなんて聞く一方で、価値観の大きな違いやズレ・違和感などを見過ごすと苦労すると聞きます。危険を回避する結婚なんてネガティブですが、賭け事でもないのも事実。ぐっちゃぐちゃに考え散らかしているため、ここに丁寧に書き出すことは面倒なので省略しますが、私の人生は私のためにあること。私の幸せは私が決めること、が今まで以上にくっきりと顔を出したので、自己肯定感が上がりました。

 

私が私を好きで入れる行動をとる。

ただそれだけなんだな、と思います。

 

コロナウイルスの影響で、予定していたジブリ映画が観れないのは非常に悔やまれます。またどこかで観る機会があればと思うのですが、それ以外はハッピーなので良しとします。